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宮原博昭の経歴は?年収は億?学研社長の考えが凄い!【カンブリア宮殿】

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カンブリア宮殿に宮原博昭さんが出演されます。

 

宮原さんと言えば皆さんが一度は聞いた事があるあの学研の社長、学研ホールディングスの社長をされてて有名です。

 

そこで今回は宮原博昭さんについて経歴や年収が億なのか?そして学研社長の考え方が凄い事について記事にしましたのでよろしくお願いします。

 

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宮原博昭の経歴は?

 

 

名前 宮原博昭(みやはらひろあき)

生年月日 1959年7月8日 2020年3月現在60歳

出身地 広島県呉市出身

大学 防衛大学

趣味 スポーツ観戦

現職 株式会社学研ホールディングス代表取締役社長

 

幼少からスポーツが好きだった事からも現在もスポーツ観戦が好きだそうです。

 

大学が学研社長としては想像がつきにくい意外にも防衛大学ですが、入るきっかけとしては宮原さんの父が海軍兵営学校を受けたものの残念ながら最終的には落ちて後に医学部に進んだみたいです。

 

その事からそんな父を超えたいと言う気持ちから防衛大学に進学しました。

 

当時からハングリー精神が強かったようです。

 

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宮原博昭がこの業界に入った経緯は?

 

幼少の頃からスポーツが得意であり小学生6年の頃で既に身長が167㎝程あった宮原さんは絶対に将来スポーツ選手の道を進もうと考えていたもの中学で4㎝程しか伸びなかった為に断念しました。

 

そして父が海軍兵営学校を受け落ちた事が影響で父を超える事を目標に防衛大学に入学します。

 

それと同時に若い時は厳しい環境に身を置いた方が成長すると感じた事からも入学しました。

 

元々のメンタルがタフですね!

 

防衛大学は正体が良くわからない謎の大学としても有名ですよね。

 

規則がかなり厳しく全寮制で朝6時起床や制服も警察官の帽子を大きくしたような独特な帽子を被っている事でも有名です。

 

防衛大学はかなり過酷な大学でありその訓練の授業、入校生の約半分の学生が精神的に耐えられずに辞めてしまう程の過酷さを持っていました。

 

しかし宮原さんは見事耐えきって1982年で卒業。

 

この辛い苦労した経験が自分の自信になったそうです。

 

そして宮原さんは外国で働きたい欲求から1983年に貿易会社である西本貿易会社に入社します。

 

しかし貿易会社で働く中で仕事は面白かったものの葛藤が起きて

 

自分の名がこの世に残る仕事に就きたい。

歴史に名を刻みたい。

 

と物足りなさを感じていて現在の会社では自分の野望を実行するのは難しいだろうと言う考えから数年間働いて後に退社します。

 

辞めてから自分の目標を達成する事がどうすればできるだろうと考えた所、教育か医療なら達成できそうだと考えたそうです。

 

さらに具体的に絞ると医療分野よりも教育分野の方がより広範囲に携わる事ができると考えた事からも方向性を教育業界に進む事に決意します。

 

そして決意したと同時に偶然、「学研研究会(現、学研ホールディングス)」の求人募集を発見して応募して1986年9月にて転職成功しました。

 

宮原博昭の学研転職後

 

宮原さんが学研入社当時は学研教室を担当していました。

 

しかし当時は立ち上げたばらりであり赤字部門だっとそうです。

 

その事から当時は正社員と言う扱いでは無く、勤務地限定職として入社しました。

 

当時は結構過酷だったそうで当時は算数・国語教室と言う名前だった事からも学研がやってる事すらもしられていなかったそうで、いつ潰れてもおかしくない状況だったそうです。

 

この状況を挽回できた経緯として防衛大学でマーケティングの授業も勉強されている事と昔から積極的にビジネスの本などを読んでいた経験が活きました。

 

そして2003年には学研教室事業部長に昇格。

 

後の2009年に取締役に昇格。

 

そして1年後の2010年12月から代表取締役社長を務めます。

 

そしてその後の事業展開としては少子化が進む現実を見据えて高齢者層に向けてのターゲット層に入れて踏まえ、さらに学研のコンテンツを海外に売り混んで行ったりと展開され活躍されています。

 

宮原博昭の年収は億?

 

 

つづいては宮原さんの年収についてですがかなりメジャーな学研、やはりかなり稼いでいると思われますが実際いくらくらい稼いでいるのでしょうか?

 

調べて見た所、学研は上場企業の為、役員報酬が1億円を超える場合は金額が公表されます。

 

そのデータによると宮原さんの年収は1億1100万円となり億越えとなります。

 

保有株に関しては19077株と記されておりさらに学研の株価がを計算しても1億円以上の資産を所持している事になります!

 

凄いですね(^^;。

 

年収が1億円越えの生活感としてはやはりある程度常人より現実離れしてしまうのが当然ですが、おそらく宮原さんの場合は学研をさらに成長させたいと言う願いから自分の稼いだお金を別の所で会社の成長の為に使っているのでは?と性格上予想できます。

 

ですので成金社長のような生活感では無く割といかにも大金持ちのような豪華な生活はしていないのでは?と思われます。

 

人に奉仕精神や貢献精神が強い宮原さんですので稼いだお金も自分のエゴと言うよりかは会社の為、人の為、家族の為に使っているのかなと予想されます。

 

 

学研社長(宮原博昭)の考えが凄い!

 

現在、学研ホールディングスの社長として活躍している宮原さんですがその考えが本当に凄いです。

 

かなり考え方としてはどうしてもメンタルが強くないと困難な物もありますが人生に通じる物があると思ったので書かせていただきました。

 

それではよろしくお願いします。

 

学研社長(宮原博昭)の考え方とは?

 

宮原さんは売上高がピーク時から半減するかなりの危機的状況から見事に奇跡的とも呼べるV字回復をして挽回しました。

 

その時に宮原さんが意識したのが

 

いかに従業員のモチベーションを高めるかを第一に考えた。

 

と発言しています。

 

しかしとは言っても現実問題その当時は売上が半減してしまったのは事実であり従業員のモチベーションの低下は不可避です。

 

現状、人が大幅に減った事により残った人の給料は大幅にカットされ多くの社員が未来に不安を感じていたおすです。

 

そこで宮原さんはこの夢が見れない状況であえて明るい未来が訪れる可能性を見せる事を意識しました。

 

具体的には学研の強み、例えばコンテンツが日本1のものがたくさんあり、巻き返す事が可能である事を社員の食事会で話し続けていたそうです。

 

しかし、ここで重要なのが将来的に挽回できる可能性があっても頑張る価値が無い企業なら従業員からしたら旨味がありません。

 

そこで宮原さんはG‐1グランプリを実地しました。

 

その事により未来の幹部を鍛える研修制度を整えたり、若手や女性も積極的に登用する事により実力次第では出世できるチャンスを与えるようにしたんです。

 

しかしこれは良い戦略ですがここでしわ寄せが出てくるのが今まで働いているベテラン社員です。

 

業界がピンチと言う現状ではある物のベテランからしたら嬉しくない話ではあります。

 

そこで宮原さんはベテラン社員と話す時はアプローチの仕方を変えて対話を続けていった事で全員とはいかぬものの幹部や管理職も宮原さんの話に耳を傾け納得するようにもなったそうです。

 

素晴らしいですね、成功する保証が無い段階でこの行動はかなりリスキーだったと思いますがやはり若い時からあえて過酷な環境に置いた宮原さんの精神力が勝ったのかなと思います。

 

後、社員の気持ちを考える相手の気持ちを理解する能力にも長けていますね。

 

こんな社長ならば自然と人はついていくのもうなづけます。

 

宮原博昭の経歴は?年収は億?学研社長の考えが凄い!【カンブリア宮殿】まとめ

 

今回は学研の社長である宮原博昭さんの事について記事にしました。

 

あらためて学研の歴史が本当に意外でしたね。

 

僕も小学生の頃に利用した経験がありましたが売り上げが半減したりとか入社当初は学研と言う名前すら使っていなかったと衝撃でした。

 

今後の宮原さんのさらなる飛躍に期待です!

 

最後まで記事を読んでいただきありがとうございます。

 

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