どうもたか吉です。
今回のカンブリア宮殿に貝原良治さんが出演します。
貝原さんと言えばデニム生池開発メーカーのカイハラ株式会社の会長として活躍しておりユニクロなどでも利用されている事でも有名です。
今回はそんな貝原良治さんのwikiプロフィールや年収、朝日小綬賞について幅広くご紹介していきます。
貝原良治のwiki風プロフィール
名前 貝原良治(かいはらよしはる)
生年月日 1943年生まれ 2020年6月現在76~77歳
出身地 広島
出身大学 成城大学経済学部
職業 貝原株式会社社長
賞 旭日小綬賞(きょくじつしょうじゅしょう)を受賞
貝原良治はカイハラ株式会社2代目社長の貝原覚の長男として生まれる!
良治さんはカイハラ株式会社2代目社長の貝原覚(さとる)さんの長男として生まれます。
ちなみにこのカイハラ株式会社は広島の福山市にて126年続くキャリアを持つ企業です!
カイハラは1893年に貝原良治さんの祖父の貝原助治郎さんが備後絣(びんごゆすり)の製造業として創業しました。
備後絣(びんごかすり)とは聞きなれない言葉だと思われますが簡単に言うと生地の技法の事です。
備後絣(びんごゆすり)は広島県福山市近郊で製造されている絣です。
備後絣は久留米絣、伊予絣に続く日本三大絣になります。
強みとしては複雑な工程から織りあがった織物はシンプルで温かみのある品質が強みです。
そんな会社を創業している家系に生まれたのが凄いですよね。
そんな事から物心ついた頃には家柄の影響で工場は身近に存在していたそうで、わずか5歳の頃から工場の人とイモを焼いたりなど自然とコミュニケーションをしていたそうです。
そんな環境から貝原さんは、家業を継ぐと言う気持ちが常にありました。
貝原良治が家業を継がずに一旦就職する。
貝原さんは大学に進む18才までは広島ですごし、大学は成城大学に進学し合唱団で活躍する青春に明け暮れます。
大学を卒業したら家業をそのまま継ぐのではなくそのまま一般企業に就職しました。
幼少から環境上、家業を継ぐ意識があった貝原さんからは意外な選択ですよね!
しかし理由としては家業に役立つスキル勉強の為に社会経験として家業に関連した一般企業に就職すると言う狙いがあったそうです。
そんな事から様々な合繊糸を扱い家業により生かせる知識を身につける事ができそうだと感じた八木商店という繊維商社に入社しました。
より家業を良くしたいと言う意識が本当に凄いです。
貝原良治がカイハラ株式会社の社長になってからの活躍!
貝原さんは一旦就職して経験を積んだ後に退職して1990年に貝原さんはカイハラ株式会社の社長となり家業を継ぎます。
家業を継いでからの1年後の1991年には広島県の吉舎に紡績工場を完成させます。
その事でカイハラはデニムを糸から作り上げる事が可能になり業界での先駆者になりました。
ここからどんどんとカイハラは大きな会社となっていくんです。
時系列として
・糸からデニムを作る事が可能になってからは1998年にユニクロとのビジネスで事業拡大を決定。
・2007年に日本綿スフ織物工業連合会会長に就任し2018年までの約10年も業界の向上に成功させる。
・2015年には海外であるタイに生産拠点を増設し生産性をUp。
このようにスピーディーに事業を拡大する事に成功します。
そして現在は社長と言う立場を降りて会長にポジションを置いて活躍しています。
みなさんは驚くかも知れませんが実はあなたが今履いてるデニムはカイハラデニムは国内シェア50%以上と言う事からもほぼ半分の確率でカイハラデニムなんです。
何故ならば、メジャーなユニクロ、エドウィン、リーバイスなどその他なんと国内外合わせて300を超える商品がカイハラデニムの生池だからですね!
実は身近に履いていたとわかると結構凄い事ですよね!
貝原良治のカイハラ株式会社が成功した秘密
今でさえ国内シェア50%と言う驚異的シェア率を誇るカイハラ株式会社ですが、その秘密にカイハラ株式会社の企業理念にありました。
企業理念として顧客のニーズに応えるだけでは満足せずに自らマーケットを創り出すためにストレッチ性や通気性、難燃性、防水透湿性などさまざまな機能性を備えたデニム生地を協力企業とともに開発します。
その結果として更にお客さんの痒い意見に手が届くようになっておりお客さんの満足度に貢献してるんです。
この工夫は現在だからでは無く、カイハラは創業してから一時期、経営難に陥った事からも同業他社との差別化の為、様々な手法が研究されていました。
例えば染の回数を増やしたりして色味の質感などの研究、織り糸を定番のものと変更したりなどをする事により強度や機能性についての研究など試行錯誤されています。
このように思考錯誤を繰り返しているからこそ、お客さんのニーズに答えるだけでは満足しなく自らのマーケットを作り出したりと次の一手をどんどん打てる会社になり売れたのかなと思います。
またアパレルブランドだけに活動を絞らずに、自動車メーカーや時計ブランド、宿泊施設など様々な業態とコラボレーションを行う事でカイハラデニムのブランディングにも積極的に取り組む工夫。
この多角的な活躍がカイハラ株式会社が成功した秘訣なのかなと思います。
貝原良治の年収はいくら?
そして貝原良治さんの年収はいくらくらいなんでしょうか?
結論から言うと貝原さんの年収は1億円~の可能性が高そうです。
普通の社長の平均的な年収が4381万と言われており従業員の規模によって変動があります。
カイハラ株式会社の職員の人数は720名でありその事を計算するとデータ上の年収としては3500万~4000万くらいの計算になります。
しかし、カイハラ株式会社の年間売上高は約150億円と記載されている事、さらに圧倒的なデニムのシェア率や多方面の事業展開に成功。
これらの事を考えると年収としては1億円を超えている可能性が高いと考えられる事から貝原さんの年収は1億円~の可能性が高いと予想しました。
貝原良治は旭日小綬賞を受賞している!
そして貝原さんですが更なる強みとして旭日小綬賞(きょくじつしょうじゅしょう)を受賞しています。
あまり聞きなれないですが旭日小綬賞(きょくじつしょうじゅしょう)は日本の栄典、旭日賞の中では6位中4番目の高い勲章です。
受賞条件としては経済社会の発展に大きく貢献した人や国際的に高い評価を得た企業や公職では市長や区長や町村長などに送られます。
伝達は所管大臣(内閣総理大臣)が行います。
要するに政府公認の名誉ある賞なんですね。
貝原さんが受賞できた経緯として会社の発展性や昔ながらの差別化を意識して常に業界での先駆者を走り日本から世界に貢献した事が鍵かなと思われます。
貝原良治(カイハラ株式会社会長)のwikiプロフィールは?年収はいくら?旭日小綬賞の受賞とは?【カンブリア宮殿】まとめ
それでは今回の簡単なまとめとして
・貝原さんはカイハラ株式会社2代目社長の貝原覚(さとる)さんの長男として生まれる。
・貝原さんは子供の頃から家業を継ぐ事を決意する。
・カイハラ株式会社は創業してから126年以上のキャリアを持っている。
・貝原さんはカイハラ株式会社の会長でありデニムの製造を行っている。
・貝原さんは大学卒業後は家業に活かせそうな企業に就職した後に退職してカイハラ株式会社の社長として活躍する。
・カイハラ株式会社は差別化する為に試行錯誤を続けていた事から思考が深くなり差別化に成功していると考えられる。
・カイハラデニムは日本のデニムの約半分はカイハラデニムの生地である。
・貝原さんの年収は1億円~の可能性が高い。
・貝原さんは内閣総理大臣から伝達される旭日小綬賞を受賞されてるほどの人物。
こんな感じでまとめさせて頂きました!最後まで記事を読んで頂きありがとうございます。
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