元オムロン社長として活躍していた立石義雄さん。
オムロンと言えば体温系がメジャーであり誰もが一度は間違いなく使った事があると思います。
その他にも血圧計や低周波治療器などを作り社会貢献しました。
今回はそんな立石義雄さんの経歴と息子さんそしてオムロンとは改めてどんな会社なのかを振り返りたいと思います。
立石義雄の経歴プロフィール
名前 立石義雄(たていしよしお)
生年月日 1939年11月1日生まれ(享年80歳)
出身 大阪府
高校 同志社高等学校卒業
大学 同志社大学経済学部卒業
職業 元オムロン名誉会長
歴 旭日重光章受章
立石義雄の時系列経歴
次に立石さんの時系列の経歴を簡単にご紹介していきます。
・1958年同志社高等学校卒業
・1962年同志社大学経済学部卒業
・1963年立石電機(現オムロン)に入社
・1973年立石電機取締役に昇格
・1976年立石電機常務取締役にて活躍
・1980年立石電機常務取締役営業として活躍しPR・広報担当を務める
・1983年立石電機専務取締役制御機器事業本部長として活躍
・1987年立石電機代表取締役社長に昇格
・1990年オムロン社長就任
・2003年オムロン会長就任
・2004年国際高等研究所理事長として活躍
・2006年日本国際貿易保進協会京都総局会長として活躍
・2006年日本国際貿易保進協会副会長として活躍
・2007年京都商工会議所会頭として活躍
・2007年日本商工会議所副会頭として活躍
・2011年オムロン名誉会長に就任
・2017年旭日重光章取得
・2020年4月21日他界
エリート街道まっしぐらと言うような順調な階段式の昇格ですね!
元々は立石さんの父である一真さんが立石電機を立ち上げたのでその後継ぎとなります。
立石電機では当時レントゲン写真撮影用タイマの開発やマイクロスイッチの国産化成功など確かな技術レベルの高さで大きな会社となりました。
そして数々の商品を開発して世界的にも認められるほどの企業に成長し名前もオムロンに変更した形となります。
ちなみにオムロンの会社の名前の由来は本社のあった地の京都・御室(おむろ)から取りオムロンとなりました。
名前の由来が地名だったんですね!
立石義雄の息子も凄い!
元オムロンの名誉会長として活躍していた立石さんですが息子さんも凄いです。
元々、立石さんの家系が家族のほとんどが実業家として活躍しており、親戚も実業家として活躍していた程のエリート家系です。
父である一真さんが現オムロンのルーツである立石電機を創業して義雄さんや義雄さんの兄弟は後継ぎとして活躍していました。
そんな義雄さんの息子さんの活躍も期待される所ですが見事に立石さんの息子さんはその意思を受け継ぎ優秀な息子として活躍しています。
立石さんの息子さんは主に
長男 郁雄さん
次男 琢雄さん
三男 経雄さん
長女 万美子さん
からなっておりその中の郁雄さんと琢雄さんがその意思を受け継いでいます。
郁雄さんはオムロンの営業本部マーケティング長として活躍されており、琢雄さんは株式会社キョーエンの代表取締役を務めています!
息子さんの中でもこのように活躍されていて家系自体が優秀です。
立石義雄が名誉会長だったオムロンってどんな会社?
立石さんが名誉会長であったオムロン。
名前としては結構メジャーなオムロンですがあらためてどんな会社なのでしょうか?
あらためて解説して行きたいと思います。
オムロンの企業理念としては事業を通じて社会的問題を解決して技術の進化を通じてイノベーションを生み出す事を考えています。
携わっている事業としては4つ程あり
・制御機器事業 (高速で高精度な機会制御を再現、不良故障などの不備を予防するライン実現などを理念としている)
・ヘルスケア事業 (バイタルデータ解析で診断と治療、予防の最適化を実現、最新技術による喘息の早期発見・早期治療の実現などを理念としている)
・社会システム事業 (循環型社会の未来の実現、交通インフラの問題解決の実現、生活サービスの向上実現などを理念としている)
・電子部品事業 (最先端のものづくり技術の駆使し常に効率化する事を理念としている)
と幅広く携わっています。
様々な国にもサービス提供しており現在も尚、進化を続ける企業です!
立石義雄の経歴は?息子も凄い!オムロンがどんな会社かも振り返るまとめ
今回は立石義雄さんについて記事を書かせて頂きました。
立石さんは家系自体がエリート家系であり階段を踏むかの如くに出世階段を上りオムロンの名誉会長と言う地位までのぼりつめたんですね。
他界されてしまった事が本当に残念です。
心からご冥福をお祈りします。
最後まで記事を読んでいただきありがとうございます。
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