有吉反省会にブル中野さんが出演されます。
ブル中野さんは昔女性プロレスラーとして活躍していた事で有名ですね。
今回はブル中野さんについての経歴や過去の強さや伝説などを振り返った記事を書いてみましたのでどうぞよろしくお願いしますm(__)m。
ブル中野の経歴
名前 リングネーム ブル中野
名前 本名 青木恵子 (あおきけいこ)
生年月日 1968年1月8日 2020年現在(52歳)
中学 川口市立芝東中学校
出身 埼玉県川口市
身長 170㎝
体重 プロレス時代現役 115キロ 現在 60キロ~
スポーツ歴 水泳 柔道 ゴルフ
旦那 青木大輔
やはり女性としては170㎝と大柄な事がわかります。
にしても現役時代体重が110キロあったって凄いですよね(^^;w
柔道では埼玉県の大会で2位になるほどの実力を秘めています。
ブル中野がプロレスに業界に入ったきっかけ
ブルさんがプロレス業界に入ったきっかけはどのようなきっかけがあったのでしょうか?
きっかけとしては元々、プロレス好きであった母の影響か幼少から日常的にプロレスを見ていてプロレス好きになったそうです。
しかし当時は見る事が好きでありプロレスをやるのは得意ではなかったよう。
ただプロレスラーになりたいと言った気持ちはつ良かったので、いよいよプロレスラーなる夢の現実に向けて1980年の中学1年生の時に全日本女子プロレスのオーディションを受け見事合格!
そこからブルさんのプロレスキャリアが始まりました!
ブル中野のプロレスキャリア
入門後は1983年の新人王トーナメント優勝にて新人時代から可愛がられていた長与千種の付き人としても活躍して1984年の9月13日の戸田大会にて全日本ジュニア王座を獲得するなど地道に順調にキャリアを積みます。
その後に前から中野に注目し気にかけており、以後師匠となるダンプ松本から極悪同盟に入らないか?とさせわれた事をきっかけにヒールキャラになるのは当時は絶対いやであったものの説得されて先輩の言った事が絶対であり逆らえない事からも極悪同盟に入った。
極悪同盟のメンバーはダンプ松本、クレーン・ユウ、ブル中野からなる同盟です。
極悪同盟からは改めてヒールキャラとして活躍するため中野恵子からブル中野に改名します。
見た目もいかにもなヒールの外見に進化して体格を大きくするために給料のほとんどを増量に使いさらには男性ホルモンなどの投与をして100キロの体重にしました!
それで様々な試合を積んでいく中で知名度があがり早くも全日本女子のトップレスラーとしての地位に君臨します。
しかし失ったものも大きく当時、ダンプさんから今日からモヒカン刈りになって私のパートナーになれ!と言われた後にバリカンでむりやりブルの左側の髪を半分切り落とされた事からも女性として生きるのをあきらめて当時付き合っていた彼氏とも別れて本気でプロレスの世界で生きると覚悟を決めました。
その後の1988年にはダンプが一時引退したのでブル中野自身をリーダーとして獄門党を結成します。
獄門党はグリズリー岩本、アジャ・コング、バイソン木村からなるチームです。
獄門党からは髪を青く染めてよりヒールっぽくなり活躍します。
そして後にWWWA世界シングル王座決定トーナメントにて西脇充子に勝利して優勝して第37代王者として君臨してその強さから女帝と異名が付き呼ばれるようになりました。
その後には従来のベビーフェイスが中心に活躍すると言う構造を壊してヒール対ヒールなどの試合など様々な試合をしていきます。
そして後の1993年にアメリカWWF(現WWE)にて長期遠征してアランドラ・ブレイズと抗争した後に日本人初で唯一となるWWE世界女子王座を獲得しました。
その後も数々の試合をこなすも1997年に以前怪我していた左膝靭帯を2本断裂する大怪我を起こしてしまいプロレスラーの引退を余技なくされました。
ブル中野の引退後
ブルさんは引退後は2000年からゴルフ修行をはじめプロを目指いますが同時多発テロなどで紆余曲折な状況ではあったもののなんとかプロテストを受けた物の結果は落ちてしまいした。
その後には当時キックボクサーでムエタイ選手である15歳年下の青木大輔さんと結婚2010年2月14日に入籍しました。
誠実そうでかっこいいですよね!
その後は2010年7月23日にて小料理店である中野のブルちゃんを開店しかし一年もたたずに閉店して2011年2月25日のにガールズ婆バー(中野のぶるちゃん)を開店したものの2019年3月2日には閉店してしまいます。
そして現在はタレントと芸能活動を中心に活動しています。
ブル中野の過去の強さは?
ブルさんの当時の強さはどれほどの物だったのでしょうか?
時系列で見ていきます。
ブル中野の入門当初の強さ
ブルさん程のレジェンドレスラーならば入門当初から強かったのでは?と思われますがどうやら素質としては170㎝と女性にしては恵まれた体格を持ちながらも決して恵まれているとは言えなかったそうです。
ぽっちゃり体格で尚且つ動けるデブでも無かった事からも運動神経はとても鈍く悪い意味で注目されていたそう。
そんな事からも人一倍練習して努力していたそうですね。
ブル中野と言えばトップレスラーでありますが入門当初からブイブイいわしていたわけではないのが意外ですね。
現役時代の強さ
そして現役時代の強さですが入門当初では恵まれた体格にしてはそこまで素質が無いとは思われていたものの見事、人1倍努力して確実に実力を身に着けていきました!
体も大きくなり恵まれた身長と体格を生かしたパワーを発揮しており尚且つそれでいてプロレスが雑でなく上手い!
入門当初はぽっちゃりしてて動きがかなり鈍いと言われていましたが現役当時は4メートルはあるであろう金網の最上段からギロチンドロップを相手にお見舞いするなど元の動きが鈍いと思わせないほどの動きを見せていきます。
そんな事からも女子プロレスラーとしては一流の選手であり強さはN1の候補にあげられています。
ブル中野の伝説は?
ブル中野さんには伝説がある事でも有名です。
いったい今までどんな伝説を生んできたのかを見て行きましょう!
日本人で唯一アメリカのWWF女子王座を獲得した女性プロレスラー
ブル中野さんの伝説としてあげられるのが日本人として唯一アメリカのWWF(現WWE)の女子世界王座を獲得した事があげられます。
プロレスはエンターテイメントなので演出なども勿論ありますが自分の国でないとネームバリューや本当に選手自体に実力や花、カリスマ性が無いと勝つことは厳しくなります。
つまり日本外の外国でもブル中野さんの実力とカリスマ性が多いに認められていたと言う事です。
ブルさんが1993年にアメリカのWWFに長期遠征をして当時女子ヒールのトップであったアランドラ・ブレイズと抗争して後に日本人初のWWF女子世界王座君臨しました。
ダンプ松本時代とは別のヒールを開拓したヒール界のカリスマ
従来のヒールとは単に凶器や反則行為を繰り返すのが主流であったがしかしブルさんのヒールは単純に凶器を振り回すだけでなくしっかりとした実力があるヒールキャラを意識していた。
そしてさらにはヒールを光らす正統派と戦わなくてもヒール同士でも観客を盛り上げる事を可能にしました。
まさにヒールVSヒールと言った抗争で女子プロレス界を盛り上げてきたのです。
これはすなわち従来ではベビーフェイスに頼らなければヒールが成り立たない状況をブルさんの代でヒールだけでも成り立つように歴史を変えた革命的な変化でもあります。
ヘビー級女子プロレスラーであろながら高さ4メートルの金網からギロチンドロップ!
従来のプロレスでは軽量級の選手が体重的にもアクロバティックな高所からの攻撃が多い印象ですが、なんとブルさんは高さ4メートルの金網からギロチンドロップをしかけます!
イヤー凄いですよね(^^;普通に体重からして膝や脚腰の負担が尋常じゃないでしょうし怪我のリスクが多いのに度胸がありすぎです。
このギロチンドロップをした経緯としてお客さんを納得させる方法として
(過去に金返せと言われた事があってそれを取り戻す為にあ、金網からギロチンやればいいんだ!って思い浮かんでお客さんが納得してくれる答が見つかったなって思いました)
プロレスラーとして重要な見せる事にこだわりプロフェッショナルとして出した答えがこれです。
そのヘビー級の度胸に頭が下がります。
ブル中野の経歴は?当時の強さや伝説なども振り返る【有吉反省会】まとめ
今回はブル中野さんについて記事を書かせていただきました。
ブルさんは自分自身もあらためてブルさんが偉大な経歴の持ち主である事がわかりました。
当時ヒールキャラになりたくなかった所が意外でしたね。
バーは惜しくも潰れてしまいましたが行動力があるブルさんの今後の活躍に目が離せません。
最後まで記事を読んで頂きありがとうございます。
コメント