古賀稔彦の経歴!過去の伝説と名言も振り返る【柔道】

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どうもたあ吉です。

今日は柔道で活躍していてた元オリンピック金メダリストである古賀稔彦さんについての記事です。

古賀さんについて今日、大変残念なお知らせがありました。

古賀さんは日本の誇りと言えるくらいの柔道家でありトップアスリートです。

今回は古賀さんが残してきた偉大な経歴と過去の伝説、名言も改めて振り返ります。

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古賀稔彦の経歴プロフィール

名前 古賀稔彦 こがとしひこ

生年月日 1967年11月21日 2021年3月24日ガンにより他界。

出身地 佐賀県三養基郡

身長 169㎝

体重 71キロ

中学 世田谷区立鶴巻中学校

高校 世田谷学園高等学校

大学 日本体育大学

得意技 背負い投げ

資格 柔道八段

活動 環太平洋大学教授『弘前大学医学博士』 日本大学健康医療専門学校

古賀稔彦が柔道を始めたきっかけ

古賀さんが柔道を始めたきっかけは兄の影響だったそうです。

兄の影響から小学1年生の頃に柔道を始めます。

兄は柔道家である古賀元博さんです。

当時は古賀さん自身、勝気の性格では無くとても柔道をやるような性格では無かったそうです。

中学1年には上京し柔道私塾講堂学舎に入門します。

この講堂学舎は古賀さんを筆頭にあの吉田秀彦選手、瀧本誠選手、大野将平選手など4名のオリンピック選手を輩出した事で有名です。

学校在学中は怪我などのトラブルがありながらも様々なタイトルを獲得しました。

古賀稔彦がオリンピックを意識したきっかけは世界戦での敗戦

実績を積む中、古賀さんがオリンピックを目指すきっかけになったのはエッセン世界柔道選手大会での事だったそうです。

日本代表として選ばれたものの当時の男子71キロ級は強敵が沢山いて残念ながら負けてしまって凄くへこんでいたそうです。

しかし、『よし、もう一回!』と気持ちを切り替えてソウルオリンピックに焦点を当てて再び練習に励みオリンピックを目指しました。

古賀稔彦はソウルオリンピックの代表になるも葛藤が…

古賀さんは1988年にソウルオリンピックの代表として選抜されます。

しかし試合が近づくにつれて徐々に緊張してしまい、さらに追い打ちをかけるようにコーチからは『俺たちの頃は、負けたら日本に帰れなかった』などと煽られてしまいさらに不安を感じたそうです。

さらに周りからは優勝間違い無し!と期待されて負けたらどうしようと考えている間に結果は三回戦で敗退してしまいます。

古賀さんはこの敗戦を分析すると自分の思考停止による指示待ち人間だった事が敗因の原因だったと気づいたそうです。

そこから練習方法を変えて人からアドバイスを受ける際も、言われた通りにやるのではなく、自分で考えてみて行動するようにした所、選手としての自信も取り戻す事ができました。

古賀稔彦1990年の体重無差別の全日本柔道選手大会にて大暴れ

古賀さんは1990年に当時の古賀さんは75キロ前後の体重であったのにもかかわらずに全日本柔道選手権大会で重量級の選手を次々と倒してなんと決勝進出してしまいました。

ですが決勝の相手である95キロ超級である世界チャンピオンの小川直也選手と対戦して負け、準優勝として幕を閉じます。

この戦いを振り返ると古賀さんは一瞬の気が抜けた甘さが試合に出てしまった事でそのスキを突かれて小川さんに足車で投げられてしまったそうです。

敗戦をしたものの無差別級でたった75キロ前後の体重でいどんだ事からもバッシングはあまりされずに周りの人からは評価されました。

しかし古賀さんは自分の弱さ、甘さの部分で大きく負けてしまった事からも号泣したそうです。

古賀稔彦はバルセロナオリンピックでついに念願の金メダルを獲得する!

古賀さんは1992年にバルセロナオリンピック選手権にて主将を務めます。

しかしトラブルが起きてオリンピック直前に吉田秀彦さんとの乱取り練習中に左膝を負傷してしましました。

膝の痛みから運動ができないため、減量もうまくいかない最悪の状況。

しかし不屈の精神でその状況を乗り越えて痛め止めを打ちながら無理やり試合に参加してなんと金メダルを獲得します!

物凄い精神力ですよね化け物じみていると言うかいい意味で執念を感じます。

メダルを取ってからの4年後のアトランタオリンピックでは決勝まで進んだものの決勝で敗れ準優勝となります。

その4年後の2000年には現役を引退して指導者としてシフト、全日本女子強化コーチを専門に指導。

2003年には指導の幅を広げ子供の指導を専門とした古賀塾を開講します。

2020年にはさらに範囲を広げて園児から大学生、選手の人や選手志望の人じゃなくても幅広く柔道の指導をしていたそうです。

そして2021年の3月24日に癌により自宅で他界となります。

古賀稔彦の過去の伝説

古賀さんの過去の伝説エピソードを改めて振り返ります。

どんな伝説があったのかと言うと

・攻めて一本を取りにいく柔道と強烈な一本背負いから平成の三四郎と言う異名がついた。

・体重無差別の全日本柔道選手権大会では75キロ前後と言う小柄な体ながら100キロ以上の体重の相手に勝ち見事、決勝まで進出する。

・バルセロナオリンピックでは吉田さんとの練習で怪我をして減量に苦労して当時はなんと毎日カロリーメイト1本と言う死にかねない食生活をしていたのにも関わらず弱音を一切吐かなかった。

・怪我の絶望的な状況の中、バルセロナオリンピックでは痛み止めの注射を打ちながら見事金メダルを取り優勝する。

古賀さんの柔道の実力も勿論の事、減量の時に毎日カロリーメイト一本の食生活をしていた事に驚かされます。

普通は死んでしまいますよね(^^;。

古賀稔彦の名言集をまとめてみた!

古賀さんは名言、格言を多く残した事でも有名です。

今回は古賀さんの人生の考え方に役立つ名言を激戦してピックアップしました!

中途半端な気持ちで動いてはダメ。戦場なら死んでしまいます。

凄くなんの世界にも通用する本質的な言葉だと思いました。

毎日、毎日を大切に全力に生きていくその積み重ねこそが未来を好転的に動かしていく。

そのようなメッセージにもとれる内容です。

難しい事ですが日々の仕事や毎日の取り組みで参考になりますね!

仕事で困難に直面したときでも、受け身一方の気持ちだと、困難から逃げることしか考えません。

耳が痛いですね、過去に散々僕が経験してきました。

そのため『夢の実現のために』大事なのは、日常生活の中で、挨拶をはじめ、当たり前のことを当たり前のようにできる自分であることだと思います。

この言葉には夢の実現のためには裏技と言うよりも日々の基本的な積み重ねが重要であると言うメッセージが秘められていると思います。

人の意見を十分に受け入れて『自分だったらこうする』と言う姿勢を示すべきです。行動に自分の考えを受け入れなければ意味が無いんです。

これは今、社会人で活躍している方には持たなければいけない視点になりますよね(^^;。

指示待ち人間よりも自ら能動的に考える能力が必要です。

古賀さんの名言は人生における本質をつかんでおりとても考えさせられますね。

古賀稔彦の経歴!過去の伝説と名言も振り返る【柔道】まとめ

今回のまとめとして

・古賀さんが柔道を始めたきっかけは柔道家である兄がきっかけで始める。

・古賀さんは学校在学中には数々のタイトルを獲得する。

・古賀さんがオリンピックを目指したのはエッセン正解柔道選手大会がきっかけ。

・古賀さんは体重無差別の全日本柔道選手権大会でなんと決勝まで進出する。

・バルセロナオリンピックで怪我などのトラブルがありながらも見事金メダルを取る。

・古賀さんの伝説はバルセロナオリンピックの時に吉田さんと練習して怪我をしていた時、減量がうまくいかない事から毎日カロリーメイト一本で生活をしていた、それにも関わらず弱音を吐かない超人的メンタル。

・古賀さんの名言は人生の本質論をついており柔道の世界にいない人でも非常に参考になる。

最後までご覧いただきありがとうございます!

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